15ヶ月が立って
亡くなってからの一年は、納骨に行くために必死だった、自分もおかしくなった。本当にいなくなったのか確認をするために生きてきた
先日、福岡の納骨堂に行き、本当にいないんだと実感した。切り替えられると思ったが
逆に冷静に、いないことを感じることによって、余計に寂しく、辛くなった
もしかしてなんて思ってたから、現実は
過酷だった。
今は逆にここから悲しみと向き合っていくことになっている。
前みたいに、取り乱したりはしない
でも、全く気力がない
何度もいうが、何のために生きているのかわからなくなった
無理やり目標を探したって所詮は付け焼き刃
この前スクーリングに行ったが、場所も東京駅で、生徒多く気持ち悪くなった
これは経験者じゃないとわからないと思う
回復は時間しかないのはわかっている、その時間の過ごし方がわからないし辛い
日常をいつもの自分を演じていることの大変さ、振る舞いに疲れている
もう本当にぎりぎりなんだ
でもどうしようもない
仕方がないんだ
死別経験をされたかたも耐えていると思う
がんばろうとは言わない、頑張っているし
これ以上無理、自分のなかでみんな戦っているんだ
耐える、耐える
これしかないんだ、そしていつの日か
いい思い出に変わるまで
私は耐えていく、それだけだ