私と彼女との出会いは、8年前。ネットのなかのブログのなかだった。当時はブログが流行っており、流行りに乗りながらどうでも良い日常を書いていた、良くわからずに。
しばらく書いていたら初めてのコメントがついた、それが彼女だった。はじめてのコメントで受かれた私はありがとうございますって返事を打って、その時はただブログの励みになったのを覚えている。頻度を上げて書いていると、毎回彼女からコメントをもらうようになっていった。
私と彼女との出会いは、8年前。ネットのなかのブログのなかだった。当時はブログが流行っており、流行りに乗りながらどうでも良い日常を書いていた、良くわからずに。
しばらく書いていたら初めてのコメントがついた、それが彼女だった。はじめてのコメントで受かれた私はありがとうございますって返事を打って、その時はただブログの励みになったのを覚えている。頻度を上げて書いていると、毎回彼女からコメントをもらうようになっていった。
6月27日に亡くなり、彼女の父親が連絡をしてくれようとした際に携帯のロックがかかり出来なく、やっと連絡がきた際には一週間がたっていた。葬儀は終わっていた。何ともやりきれない気持ちだった
彼女の父親からたくさんの思い出をありがとうって、これからあなたの人生があるからって。こっちこそたくさんの思い出をありがとうございますって返すのがやっとだった。
彼女はお花が好きだから、自然葬にしたいとのこと。また場所が決まり次第連絡をくれることになっている。早く会いたい、会いたい
どういう神経か考えかわからないが、ネットで死別した方の記事や乗り越えかたなど片っ端から読みあさった。自分だけではないと、安心するからなのか。記事を見て、時間が解決してくれる、自分が悲しんでいたら天国で悲しんでるなど。確かにそうかもしれないと思う自分と何言ってるんだという自分がいる。良く理解出来なく、頭の回転がしてないと感じている。ただ少しづつ本当にいないのかと理解が出来てきている自分、これが時間が解決ということなのだろうか